1.ひとりごと
哲学書は間違っている
下記の著者を批判するつもりはありません。しかし、哲学や哲学書についての一般的な認識ではないでしょうか?
- 哲学は難しくて当たり前
- 難解でなければ哲学ではない
下記、引用します。
それでは日本最初の哲学書と言われる、西田幾多郎の『善の研究』の講義を始めたいと思います。
まず、その前に、哲学書を読むということについて、少しだけお話しします。哲学書というのは、なかなか一読してすぐにわかるものではありません。
でも、その「わかりにくさ」を楽しむことができれば、哲学書を読むことができるようになります。
もちろん、本には、小説や実用書など一読してすぐに理解できるものもありますし、そのような本を読んで多くのことを知る楽しさもあります。
ただ、哲学書は、そのような読みやすい本とは違います。
むしろ、少し難しい本、すぐに理解できない本をゆっくり読んでいき、そのうちに自分の頭が鍛えられ、知識の多さではなく、深く理解できるようになる、そういう楽しみがあるものなのです。
古典的な哲学書というのは、そのように時間をかけて自分を鍛えてくれる本なので、それを読んだらすぐにわからないからといって投げ出してしまうのは、もったいない。
もったいないどころか、たしかにシンドイだけで、少しも楽しくないと思います。
ですから、すぐにわからないことにしても、少し我慢して、「いまは自分の頭に負荷がかかっているけれど、それなりに鍛えられて、じきに理解できるようになるだろう」と期待しながら、そのプロセスを楽しんでいただければ楽しく思います。
また、ある程度我慢した結果、その鍛えられた頭によって理解されるより、深い思想を手にしたときの悦びを味わっていただければと思います。
哲学書というのは、普通の本とは楽しみ方が違うのです。
哲学書を読んで、すぐに「難しい、つまらない」と言うのは、たとえれば、なぜか遊園地の楽しさを期待して、山に登り始めて、ただ「シンドイ、楽しくない」と言うようなものです。
11〜12ページ
私見を述べさせてもらいますと、明らかに間違っています。
Mr.GT-Rの水野和敏さんは、こうおっしゃいました。
- もともと話すとか、書くとかは自分のためではない。
- 話すとは自分の思いを伝えるためだと思っている。これは間違い。
- 自分の思いを伝えたいのなら、つぶやけばいい。
- 話すなら、人にわかることを言いなさい。
- 言葉は、話した瞬間に人のために情報発信をしている。
- 伝えたいのか、自分が言いたいのか、そこが曖昧。
- 話すことも書くこともすべては人のため。
- なぜなら、すべては人のためだから。
暴言を吐かせてもらいますけど、どんなに崇高な思想や哲学だって、第三者に伝わってナンボ。伝わらなければ、ただのカス。
その証拠に、イエス・キリストが何を言っているのか第三者がわかっていなければ、キリスト教は今のように普及していなかったはず。
他の例ですけど、ラグビーとサッカー。ルーツは同じフットボール。人気があるのは、どっち?
もちろんサッカーです。
理由は、サッカーの方がルールがシンプルで勝ち負けが一目瞭然だからです。手を使わないで、ゴールに多くの回数ボールを入れた方が勝ち。
ところが、ラグビーはもっと複雑ですよね。サッカーのルールは説明できても、ラグビーのルールを自信を持って説明できる人は経験者に限られます。
「難解な文章で書かれているのが哲学書」なんていう認識は、完全に間違いですね。と言うか、自分勝手。
自分のためだけに書いているなら、自分一人でつぶやいていればいいのです。世間に発表したり、哲学書を出版する必要もない。
ビジネス的に分析させてもらうと、思想家・哲学家という狭い市場で、他の業種・業界の常識が通用していないだけ。要は時代遅れ。
例えば、不動産業界は未だに、
- 礼金を取る
- 外国人という理由だけで入居させない
というのは完全に時代遅れで、かつ人種差別です。少なくとも世界の常識から外れています。
この常識外れが、思想・哲学の世界でもまかり通っているだけ。「難解で当たり前」なんて、バカじゃないの!?
エコノミストを名乗るのに資格が不要なように、思想家・哲学家だって自称でしょ。少なくとも資格は不要。
どちらも「難解」というイメージを一般に与えた方が、自分の権威が高まるじゃん!?
第三者が理解できる文章を書いたり、説明ができないのは、本人の文章力やプレゼンテーション・スキルがないだけ。
「哲学は難しくて当たり前」とか言って、自分の説明の下手さを正当化するんじゃないよ!
そんな非常識がまかり通っているのは、おたくの業界だけ。
そんな屁理屈は、自損事故を頻繁に起こしているドライバーが、「車の運転は難しくて当たり前」と言っているのと同じ。
手前味噌ですが、私は「わかりやすい」情報提供では超一流。おそらく、右に出る者はいません。これが私の職業と言っても過言ではない。
そのうち、わかりやすい哲学書を出しますよ。
と言うか、下記の教材は思想・哲学のレベルなんですけどね。
私の場合、もうほとんど思想家なので、古市教の信者さんが支えてくださるのですけどね。信者の方々、いつもありがとうございます。m(__)m
拙著を読んだことがない方は、まずこちら。
2020.05.20